俺にはもうすぐ結婚して一年になる妻がいる。
出会って一ヶ月半というスピード結婚だったので、
「子供欲しいけど、今の内に二人っきりで色んな思い出作っておこうね」
と口癖のように妻は繰り返していた。
俺は正直、家族を養う大変さを甘くみていた。
稼ぎも少なく、やりくりもろくに出来ない俺に、気を使っているのだろう。
情けない話、蓄えも少ないいま、子供を育てるのは重荷にもなりかねない。
そんな事ばかり考えていると、やはり気分も沈むもので、俺は少しずつ
酒に逃げるようになっていた。自然と顔を合わせる時間も減っていき、
そのうち俺は、隠れて電話やメールをしている妻に気付いた。
気づいたが、問い詰める事も出来ず、気づかないふりをするしかなかった。
浮気をされても仕方ないと思った。
それにともない、普段より楽しそうに話し、笑う妻を見ていると、
ますます自分が惨(みじ)めで、また俺は酒に逃げた。
以前よりも喧嘩をするようになった。
帰宅直後に喧嘩になった際、会社でのミスも含めてイラついていた俺は、
妻が隠れて浮気している事を責めた。
誤解だと泣く妻を置いて、俺は家を飛び出した。
近くの居酒屋で浴びるように酒を飲み、店を出て、俺はふらふらと家のドアを開けた。
・・息苦しさで目が覚めた時、悲しそうな笑顔の妻と、俺の首元に伸びる
妻の細い手が見えた。
俺は慌(あわ)ててその手を払い、無我夢中で妻の首を絞(し)めた。
妻は驚いた顔をしていたが、すぐに動かなくなった。
・・しばらく呆然とした後。
警察に電話する為、ネクタイを外しながらリビングへ向かうと、
テーブルを埋め尽くす普段より豪華な妻の手料理と、旅行会社のパンフレットが
見えた。
俺は玄関に戻り、妻を抱き締めた。
妻の顔は滲(にじ)んでよく見えなかったが、一年前の今日のように笑っていた
ように見えた。
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規則正しい音が響く。
無機質な機械が並ぶ白い部屋で、私と妻は顔を合わせる。
乱れることなく響き続けるこの機械音が、心臓が鼓動する事を示す音だけが。
妻の最後の望みの糸だ。
『 脳 死 』
それが、医者によって下された診断。
こうやって顔を合わせても、私も妻も黙ったまま。
かつての幸せな笑顔も歓談する声も、とうの昔に失われてしまった。
私の声は妻には届かない。
妻の思いを知るすべは私にはもう無い。
そんなふうにぼんやり考えていると、別の人物、担当医が入ってきた。
「先日のお話ですが」
事務的に切り出す医者。
「こちらの準備は全て整いました。後は、ご家族の同意だけです」
「ええ、お話を聞いて、よく…考えました」
医者に返答する声は、震えている。
「子供はまだ幼い。そして現状維持の費用は高くて、
とてもじゃないけど払い続けられません。既に借金も重ねています。
これ以上はもう、どうやっても…。お話いただいた件、確かなんですよね?」
「お任せください」
足下を見られている、そんな感覚はある。
老獪(ろうかい)な医者は多分腹の中で笑っているはずだ。
だが、背に腹はかえられないのも現実だ。
「確かにこの国ではまだ理解が浅い手法だが、成功すれば、現在よりももっと
いい状態で生き続けられる。勿論(もちろん)あなた方の生活も」
「…よろしく…お願いします」
堪(こら)えきれない嗚咽(おえつ)がもれる。
だが、これで、生き続けることを望む者が皆救われるのもまた事実。
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imikowa88
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